八代目林家正蔵(彦六)『大処(おおどこ)の犬』 小山觀翁撰集
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- Опубликовано: 26 ноя 2024
- 上方では「鴻池の犬」
1973昭和48年収録、その他のデータは不詳。
お聴きいただいた方から、
ご連絡をいただきました。
「この録音は1971年5月17日の第39回落語研究会の高座かもしれません。」
という内容でした。
テープの箱に記載されていた「1973年」は、
これが放送された時点なのかも知れません。
追補いたします。
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林家 彦六(はやしや ひころく、1895年5月16日 - 1982年1月29日)は、落語家。
東京府下荏原郡品川町(現在の品川区)出身。生前は落語協会所属。本名は岡本 義(おかもと よし)。前名の林家正蔵としては8代目。俗に「彦六の正蔵」。
出囃子は『菖蒲浴衣(あやめ浴衣)』。噺家からは居住地の「稲荷町(の師匠)」また性格から「トンガリの正蔵」と呼ばれた。妻は岡本マキ。息子は日本舞踊家花柳衛彦。芝居噺や怪談噺を得意とし、「林家正蔵」の名を更に高めた。
経歴
1907年 尋常小学校卒業。
1908年 質屋、ホーロー工場、木地屋などを丁稚奉公で転々とする。
1912年 2代目三遊亭三福(後の3代目三遊亭圓遊)に入門し「福よし」を名乗る。
1914年5月 師匠三福が「扇遊亭金三」に改名し「扇遊亭金八」に改名。
1915年 この頃から大師匠4代目三遊亭圓生の弟弟子2代目三遊亭圓楽(後の三遊一朝)に稽古を付けて貰う様になる。
1917年1月 師匠金三と共に4代目橘家圓蔵の内輪弟子となる。
1918年2月 二つ目昇進し「橘家二三蔵」に改名。
1919年4月 圓楽が「三遊一朝」に改名し、圓楽の名を譲られ二つ目のまま「3代目三遊亭圓楽」襲名。この頃は桂小南らの三遊分派に所属。
1920年6月 真打昇進。結婚。
1922年2月 師匠圓蔵死去に伴い、3代目柳家小さんの預かり弟子となる。その後3か月ほど2代目桂三木助の元で修行し『啞の釣』『莨の火』などを教わる。
1925年9月 兄弟子初代柳家小はん、柳家小山三(後の5代目古今亭今輔)らと共に「落語革新派」を旗揚げする。
1926年1月 落語革新派解散。
1927年 東京落語協会(現落語協会)に復帰、兄弟子4代目蝶花楼馬楽(後の4代目柳家小さん)の内輪弟子になる。
1928年4月 前師匠小さん引退に伴い、師匠馬楽が4代目柳家小さんを襲名し、馬楽の名を譲られ「5代目蝶花楼馬楽」襲名。
1929年10月以降の世界恐慌による不景気の影響で、寄席も客が大幅に減る。馬楽は芝居の脚本の朗読会「とんがり会」を開いていた[1]。また、この頃、徳川夢声主催の「談譚集団」という漫談研究会に入り、木下華声らと漫談の修行をしていたこともあった[2]。
1950年4月22日 一代限りの条件で海老名家から正蔵の名跡を借り「8代目林家正蔵」を襲名する。
1963年12月 第18回 文部省芸術祭(大衆芸能部門)奨励賞受賞。
1965年 落語協会副会長就任。12月 第20回 文部省芸術祭(大衆芸能部門)奨励賞受賞。
1968年11月3日 紫綬褒章受章。
1968年12月 第23回 文化庁芸術祭(1部・大衆芸能部門)芸術祭賞受賞。
1970年2月からの隔月(偶数月) 「芝居噺 林家正蔵の会」を、東京・岩波ホールにて開催(この模様の一部は、16mmフィルムで記録映画として撮影された)。
1971年1月 日本テレビ演芸番組「笑点」師弟大喜利、鶴亀大喜利、演芸コーナーに出演。以降1981年まで不定期に出演。
1972年4月 9代目桂文治、6代目三遊亭圓生と共に落語協会顧問就任。
1974年4月29日 勲四等瑞宝章受章。
1976年 芸術選奨文部大臣賞受賞。
1980年9月20日 林家三平死去。9月28日「正蔵」の名跡を海老名家に返上。正蔵として最後の口演は『旅の里扶持』である。
1981年1月 「林家彦六」に改名。4月 昭和55年度第1回花王名人大賞功労賞受賞。11月7日日本橋たいめい軒で行われた一門会の『一眼国』が最後の高座となる。
1982年1月29日 肺炎のため東京都渋谷区の代々木病院で死去。86歳没。その日の夕方まで病室にいた2代目橘家文蔵が言葉を聞き取れず問い直すと「バカヤロー」とどなられたという。叙・従五位、賜・銀杯一個(菊紋)。生前から白菊会に加入しており、遺体は医学研究用に東京医科歯科大学に献体、角膜は慶應義塾大学病院のアイバンクへ提供された。
来歴・人物
母方の祖父は、鎌倉河岸の船宿「岡本屋正兵衛」に生まれた息子だったが、岡本屋を飛び出して鳶職・火消しになってしまう。祖母は武士の家出身で、その二人の間に生まれた娘が、岡本義(後の8代目正蔵)の母親である。
稲荷町時代の逸話、名跡の返還など古き良き噺家として名を残した事でも知ã
彦六師匠好きでした。正蔵と言えば私にはこのかたです。
正蔵師匠大好きです。僕は生前最後期の高座を拝見する事ができました。
この録音は1971年5月17日の第39回落語研究会の高座かもしれません。
ありがとうございます。追補させていただきます。
@@観翁撰集_小山泰生編 第39回落語研究会の「おおどこの犬」は、テイチクからカセットテープで発売されました。upされたのも同じ録音ですが、冒頭の枕が2分ほどカットされています。